2020年初頭より顕在化したCOVID19の流行は、我が国のテレワーク・リモートワーク環境を思わぬ形で前進させました。その影響は企業のみならず学校においても生じており、密集を避けるためのオンライン授業への対応を契機として、各種文書の電子化・ペーパーレス化へと踏み切る事例が増えています。
三菱UFJリサーチ&コンサルティングが発表したレポート(2020年7月)によれば、今回の感染症への対応策として企業が緊急に実施したIT施策は「テレワーク制度の導入」「リモートアクセス環境の新規・追加導入」「コミュニケーション・ツールの新規・追加導入」が上位を占めています。また、今後実施予定の施策としても「社外取引文書および社内文書の電子化対象拡大」を掲げ、ペーパーレス推進を指向する傾向が見られました。
しかし、感染症対策が始まった2020年以前から取り組みを進めている企業を含めても、既にペーパーレスへの対応を終えている割合はいまだ全体の4割程度にとどまっています。企業の場合、既存の仕組みが複数の部署や事業所にまたがって存在しており、そこから移行するためのコストや、意識変革を促すリテラシー教育の必要性などが障壁となっているからです。
その点、学校はその本来の目的自体が「児童・生徒の教育、学習」にあり、導入することで生徒だけでなく教職員や父母ら保護者にとってもメリットが生じるため、電子化によるペーパーレス化の推進は一般企業に比べて進めやすい環境にあると言えます。
<参考資料・記事>
・三菱UFJリサーチ&コンサルティング「With コロナ時代に考えるペーパーレス化対応」
学校におけるペーパーレス化には、前述したように複数の利点があります。具体的には、
・学習体験(ラーナーエクスペリエンス)の向上
・学校業務の効率化
・教職員の負担軽減
・セキュリティ性の強化
を挙げることができます。
COVID-19の流行が契機となって、オンライン授業は主に密を避ける目的で進められました。そのため、学校におけるペーパーレスの推進はどうしても感染症対策としての側面が強調されがちです。しかし、デジタルメディアを活用したペーパーレスの授業は、それ以上に生徒にとってより主体的・能動的な学習体験をもたらす可能性を秘めています。
文部科学省や東京都教育委員会では、対面および紙媒体教材だけでは実現できないデジタルメディアの様々な利点について、ガイドブックを作成して実例を示しながら啓発に努めています。
画像:文部科学省サイトより引用
<参考資料・記事>
・文部科学省 新時代の学びにおける先端技術導入実証研究事業(遠隔教育システムの効果的な活用に関する実証)「学びを止めない!これからの遠隔・オンライン教育~普段使いで質の高い学び・業務の効率化へ~ 」
・文部科学省「遠隔教育システム活用ガイドブック第二版 」
・東京都教育委員会「新型コロナウイルス感染症対策と学校運営に関するガイドライン(都立学校)~学校の「新しい日常」の定着に向けて~」の改訂について|
これらの資料によれば、生徒の学習体験におけるデジタルメディア活用=ペーパーレスの利点は次のようにまとめることができます。
・学習場所を選ばないため、自宅以外の病院や祖父母の家、避難所などあらゆる場所で「学びを止めない」状況が継続できる
・与えられたもの以外に、画像や動画、図表などあらゆる参照資料を能動的に探したり、リファレンスすることができる
・授業内容を動画で繰り返し見られるため、理解できるまでリピート学習が可能となる
・保護者が授業の様子を観察、同時体験できる
・生徒一人ひとりの反応を確かめながら授業や指導が進められる
・直接対面では発言しにくい生徒も、気軽にチャットなどでコミュニケーションがしやすくなる
・グループワークツール(MS Teamsなど)の活用で共同学習や交流が簡単になり、情報共有がしやすくなる
ユーザーエクスペリエンスという言葉があります。企業のマーケティングにおいて、商品・サービスそのものだけでなく「それらを入手・享受する過程で消費者がどのような体験をするか」を重視する考え方ですが、これを教育や学習に置き換え、学習者自身がより能動的・主体的に学びを進められる仕組みづくりを作ろうとするものが「ラーナーエクスペリエンス」です。企業が社員研修で効果をあげるために導入する事例が多いのですが、ラーナーエクスペリエンスの持つポテンシャルは学校教育にも非常に有効です。
オンライン授業がやっと本格的に普及し始めたばかりでもあり、上記に掲げたようなメリットを最大限に生かすため、各地の学校現場では様々に試行錯誤が繰り返されています。
例えば岩田中学校・高等学校(大分県)では生徒一人に一台のタブレットを導入、共同学習の授業に活用しています。
以前はワークシートを共有するために模造紙やペンを用意し、そこに一人ずつ書き込んでいき完成後に回収、意見を集約するというスタイルでした。タブレットの導入でこれをデジタル媒体上で行うことが可能となり、ワークシートが生徒全員の手元に残り、制作のプロセスも教師が共有できるため一人ひとりの考えをきめ細かくとらえ、指導できるようになったといいます。
開智中学・高等学校(埼玉県さいたま市)ではオンライン授業に際し、ひとつの授業に対して教員二名を割り当て、一名がライブで講義(=ティーチング)を行い、もう一名は生徒からの質問対応に専従する伴走者(=コーチング)の役割を担いました。
これにより教員はそれぞれの役割に集中することができ、生徒の側も授業の流れを妨げずに安心して疑問点や不安が解消できます。
<参考資料・記事>
MetaMoJi ClassRoom – GIGAスクール構想 1人1台に最適なリアルタイム授業支援アプリ
コーチングを通信制で導入、生徒の学習を遠隔で支援する仕組みを立ち上げているのが学校法人角川ドワンゴ学園のN高等学校、S高等学校です。生徒一人ひとりに合わせ、自発的な学習を促す試みとして業界でも注目度があがっています。
<参考資料・記事>
【iPad導入事例】iPad導入でペーパーレス化を進めながら、生徒の世界を大きく広げる | Edu at Mitani (mitani-edu.jp)
またこれら直接的な学習上の効果に加え、実際にペーパーレスの現場を実体験することが、現在進行形の「持続可能な社会実現」について考える機会となります。紙資源の節減やゴミの削減、共同協働の考え方などにサステイナブルに関する実践学習効果も期待できると言えるでしょう。
鴨川令徳高等学校(千葉県鴨川市・2020年に文理開成高等学校から改称)では、2013年からiPadを活用した教職員の業務改善を行っています。職員会議では紙の配布資料に代わりクラウドでドキュメントを共有、プリントアウトして全員に配る手間やコストを省くと共に、複雑な議題の理解や内容の聞き落とし防止等に成果をあげました。
また従来は1~2週間の時間を要していた稟議の承認も、iPadの情報共有システムを活用して上長や校長に直接通知されるようになり、迅速化を実現しています。さらに修学旅行での現地の様子をリアルタイムで学校に報告するなど、電子メディアならではの使い方も報告されています。
<参考資料・記事>
iPad導入事例 文理開成高等学校様 | ユーザー事例 | 株式会社Too
こうした事例のように、一般企業と同様にペーパーレスに業務改善の効果を期待するケースは少なくありません。部活動や遠足、修学旅行や課外活動など、授業以外にも多忙な教師に対してペーパーレスが貢献できるのであれば、現場にとってこれほど心強いものはないでしょう。
京都市立西京高等学校附属中学校では、遠隔では困難な生徒たちの到達度・習熟度の確認を、紙芝居形式の動画を主体としたカリキュラムを作成することで実現しました。
ここでは紙の資料よりも少ない手間で簡単に作成できる動画を用いて、登校時と変わらない進捗で生徒が自主的に学習をすすめることができるよう、十分な配慮がなされています。教師は自宅にいる生徒たち一人ひとりの状況を、これにより小さな手間で把握しやすくなりました。
教材を電子化することにより、課題提出や進捗状況の把握・管理が簡単になるというメリットに加え、印刷や配布にかかわる直接コストの低減効果や、授業のアーカイブ化による繰り返し学習が可能になるなど、多くの副次的効果が考えられます。
<参考資料・記事>
・京都市立西京高等学校附属中学校「公立中学校における教育データを利活用したオンライン授業の取組」
2019年9月、とある学校で情報流出未遂事件が発生しました。
本来持ち出し禁止の個人情報ファイルを、教師が職務遂行上の必要性から紙にコピーし、外部の公衆電話に置き忘れてしまったのです。幸い近所の人が発見し学校へ届けられたため事なきを得たのですが、担当自治体が公式に謝罪するまでに至りました。
機密情報の取り扱いは年々厳しいものになっています。電子化を推進することにより、少なくとも誰の目にも触れやすい紙媒体の形で内外に流通するリスクは低減されます。このケースでも、ファイルをクラウド上で共有し、厳重なパスワード管理を用いていれば、未然に防げた可能性があります。
紙のリストやファイルを管理するのとはまた別のセキュリティが必要となりますが、安全な情報保護の面ではペーパーレスに大きなアドバンテージがあると言ってよいでしょう。
<参考資料・記事>
・大阪府「緊急時に備え、学校規定に背いて連絡簿を複写し持ち出し一時紛失」
ここまで述べてきたように、学校現場におけるペーパーレス化の推進は、単に紙や森林資源の保護というだけでなく、むしろ生徒の学習を力強く支援し、教師や事務方の負担の軽減に資する取り組みと言えます。いまだ実験的なケースが進行中でさまざまな試行錯誤が繰り返されており、その意味で新しい事例が日々全国で生まれています。
国や自治体、また他の教育機関とも情報連携を深め、ぜひそれぞれの状況に応じた望ましいペーパーレス化を進めてください。
(ライター:大石雅彦)